1/27の読売新聞夕刊「あの人この町」で“古里になった泉北ニュータウン”と題して、泉北ニュータウン出身、あるいは、そこで過ごしたことのある何人かの方が紹介されていました。
その大見出しには、沢口靖子さんが大きな写真入りで、でかでかと、掲載されていました。
(ちなみに、泉北ニュータウンとは大阪府堺市南部と和泉市の一部1560ヘクタールに広がり、府企業局が開発、1967年に町開きした。
高度経済成長とともに発展し、泉北高速鉄道が開通、延伸。
ピークの92年春には約16万4千人が住んだ。
2002年3月現在の人口は約14万6千人。)
彼女が同じ堺市から、泉北ニュータウンに引っ越して来たのは中学二年生の春、13歳の時。
周りも、最近引っ越して来た同じ境遇の子が、多かったので、すぐ、和気あいあいと、打ち解けられたと。
生まれたての町にもまた、活気があり、季節ごとに次々と催しが企画され、盆踊り大会では、浴衣姿でちょっと知られた<ヒロイン>だった。
「両親の田舎が滋賀で、小さい頃から踊った江州音頭が体に染み付いてるんです。
河内音頭も熱くなるまで踊らないと気がすまなくて」
そして、高校時代は、毎日泉北高速鉄道で堺東まで通い、帰りには、泉が丘のショッピングモールによく立ち寄り、「信じられないほどの食欲で」グラタンとパフェを一度に食べた。
(さすが、軟式テニス部!)
高二の冬、手芸店の編物教室に通った。
セーターをプレゼントしたい人がいて!!
時間切れで、ベストになってしまったらしいが。(それが、ベスト・・)
今でも、両親は泉北ニュータウンに住んでおり、母との会話も弾んでくると、必ずどちらかが、ボケとツッコミを演じており、やっぱり大阪人の血が流れているんだと実感。
「ニュータウンは、離れていてもいつも誰かが応援し、見守ってくれている心のよりどころ」
心細かった転校生を優しく迎えてくれた、あの日のように。
<新しき町>が古里になった。と、しめくくってあります。
最近、舞台づいている沢口靖子さんですが、去年9~10月の舞台公演、宮尾登美子原作、「仁淀川」(によどがわ)を去年暮れに、NHKで放映していました。
初めそれを見て、正直、驚きました。彼女の激ヤセぶりに。
しかし、話の内容が進むにつれて、納得。
彼女は、戦後、夫と幼い娘とで、食うや喰わずの満州から、かろうじて引き揚げて来て、その後、肺結核を患うという役どころ。(そこまでやるか!! なんという役者根性)
最初はとっつきにくい話かと思いましたが、目頭の熱くなるシーンも多くあり、彼女や周りの方たちの体当たりの演技とともに、次第に話に引き込まれていきました。
また、いつも思いますが、彼女の聞き取りやすい、お腹から出ている声も非常にいいですね。
そして、今年の正月には、大河ドラマ「秀吉」(96年、竹中直人主演、おね:沢口靖子)の
総集編が、放映されました。
彼女は、このドラマで、竹中直人からすごい刺激を受け、演技の何たるかを教えてもらい、一皮も二皮もむけたそうです。
竹中直人は、台本があっても本番では、何が飛び出すかわからないうえ、平手でたたかれるシーンでは、本番で本当におもいっきり何度も叩かれて、それが逆に非常に新鮮に感じられたそうです。
ところで、実は私も竹中直人からは、すごい刺激を受けました。
「秀吉」のあのシーンで・・・・。
蜂須賀小六(大仁田厚)が、ふんどし姿の秀吉(竹中直人)を正面から持ち上げた瞬間、思わず、「なんじゃ、こりゃ!」と、ビデオを止めて巻き戻し、何度も何度も再生し、画面を凝視しました。
そして、まじまじと見て、「え・げ・つ・な~~」
裸にふんどし姿の竹中直人のふんどしの脇が甘くなり、黒々としたものと、ダラ~リとしたものが・・・・
この事て、有名な話なのかと思い、試しに「竹中直人 秀吉 ふんどし」で検索してみると、
出るわ、出るわ・・・・、なるほどなるほど。
確かに、何が飛び出すかわからん人物や。
話が横から見え・・、いや、横にそれてしまいましたが、沢口靖子さんは現在、2/1~2/26まで大阪梅田コマ劇場にて、そして、3/2~3/26まで福岡の博多座で谷崎潤一郎原作の舞台「細雪」公演の真っ最中です。
※読売新聞の「あの人この町」の同じ欄に「ご当地記者から」というコーナーがあり、広島総局・南俊彦さんという方が書いておられます。
沢口さんとは、残念ながらすれ違いで、こちらが4年上(という事はS55年卒)だった。
高校の野球部の練習を終え、泉北高速に乗り、泉が丘駅の手前、高層住宅群の明かりが夜空に浮かび上がってくるのを見るのが好きだった。
今も帰郷のたび、その駅が近づくと少し胸を躍らせて自然と車窓の外に目を凝らしている。と
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